傳法院のご本尊

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ご本尊 不動明王のご縁起

大日大聖不動明王
だいにちだいしょう ふどうみょうおう
明治39年、佐藤光重佛師敬刻の、等身大の不動尊像です。

あの戦火からご本尊を守護した順盛和上(成田山傳法院史より)

本土空襲が伝えられる昭和19年代、時の住職順盛和上は、本堂の床下にもぐりこみ、シャベル一本で防空壕作りを始めました。
本堂の床下は、頭を下げて歩けるほどの高さがあり、丁度本堂中央部は四畳半ほどの広さをのこして、床柱が何本も立っていました。
当時小学六年生だった私(照邦和尚)も、学校から帰ってくると、裸電球ひとつをたよりにバケツをロープの先端に結びつけ、穴の中の和上のかけ声でロープをたぐりよせ、バケツの土を地表に盛りあげていきました。
特にご本尊のこの壕の中へのご遷座のときは大変でした。
なにしろ等身大のご本尊です。後背の火炎を取り外し、岩座上のご本体を二人してやっと所定の場所に収めました。今火炎の一部が傷んでいるのは、この時のものです。
このご本尊は、明治39年永盛住職代に、佐藤光重仏師の手によって刻まれました。順盛和上の誕生(明治39年5月5日)と同じところから、まさしくこのご尊像は順盛和上そのものであります。
なんとしても、このご尊像を戦火からお救いしなければならない。いままで大勢の講員信徒の皆さんに信仰されてきた、霊験あらたかなご尊像だとの信念から、手に豆をつくり、腰の痛みをおさえての土堀り作業でありました。

あけて昭和20年8月2日未明、B29による空襲が始まりました。火の手があがってきました。順盛和上は壕の上の土を水で踏み固め、その上に一斗ダルに水を漲りました。壕の中のご尊像をお守りするに少しでも役に立てばとの思いからであります。
更にまた、本堂石段脇に設置されたコンクリート作りの防火用水にも水を満たし、この中に仮本尊として本堂にお祀りしておいた立不動尊像を沈め、

「どうか壕のご本尊をご守護したまえ。南無大日大聖不動明王」

と、祈りをこめてから避難しました。

このおかげで、壕の中のお不動さま、現本堂のご本尊は無事助かったのです。なにしろ、3日の昼すぎ、処々に倒れている死体をかきわけ、一面焼け野原と化した中を、やっとの思いでたどりついた傳法院は、焼けた石塀と、頭のない石燈篭、欅の幹の焼けぼっくいだけだったのです。

不思議にも、防火用水に沈めた立不動尊は、後背と左半身を焼いてはいましたが、お顔や剣をもった右半身は大丈夫でした。自身の身を犠牲にして壕のご本尊をお護りしたのだと、和上は涙を流して、感謝の祈りを捧げたものでした。この身を焦がした立不動尊は、現在、左脇壇におまつりされています。

ご真言

のうまく さんまんだー ばーざらだんせんだー まー かろしゃーだー

そわたや うんたらたー かんまん

*3回お唱えしてお参りください