成田山傳法院は、京都・東山七条にある真言宗智山派総本山智積院を総本山とし、千葉・大本山成田山新勝寺の分院です。
真言宗は、開祖、弘法大師空海が唐時代の中国は長安に渡り、青龍寺で恵果阿闍梨から学んだ密教を基盤としています。
俊盛法印により、嶋之坊宿(現在の日吉町、修験嶋之坊の宿坊)に開山。
嶋之坊宿より八日市宿105番地に移り、
本堂を建立し八王子の成田山*遥拝所としたのが始まりで、明治24年には真言宗醍醐派の末寺となりました。
*遥拝とは、遠くにいながら、寺社へ思いを馳せ、参拝をすることで、傳法院の場合、東京の西のはずれでありながら、千葉県成田市の成田山新勝寺へお参りすることができる場所であるということです。
八王子の大火で本堂、庫裡は灰燼に帰し、10月には八王子町八日市25番地に移転しました。
境内を拡張し、東面石垣・南面石塀を建立します。
佐藤光重仏師敬刻の等身大の不動尊像 並びに両童子像を本尊として本堂に奉安 開眼護摩を厳修しました。
真言宗醍醐派八王子分教会となります。
大東亜戦争により、八王子市内大空襲にみまわれ、諸堂ことごとく灰燼に帰します。
本堂落成
本堂再建間口六間、奥行四間本堂落慶入仏供養お練り行列並びに大護摩修行。
真言宗醍醐派より真言宗智山派に転派し成田山新勝寺の末寺となりました。
成田山八王子分院として認可され現在に至ります。